猿投 棒の手

猿投神社と猿投山(猿投棒の手のバックボーン)

猿投神社 「さなげじんじゃ」 と読みます。
三河国三の宮にあたる神社(一の宮、豊川市一宮町の砥鹿神社。二の宮、知立市の知立神社)

愛知県民族無形文化財である「棒の手」の奉納が行われる事で有名です。
また、神社の名前に「猿」がつく事から猿年の正月には普段よりも多くの参拝者が訪れます。

名前の元は「猿」ではなく「狭」という字であったようですが、神社建立より1200年もの長い歴史の中で猿田彦神を祀っていた時期もあったようで、いつしか「狭」に代わり「猿」という字が使われるようになったとか、景行天皇が伊勢国へ赴いた際、飼っていた猿を放り投げ、その猿がこの山に住み着いた事から猿投という地名になったと言い伝えもありますが正確な事は分かっていないようです。

現在ではこの神社は大碓命を主祭神とし、大碓命の父の景行天皇と祖父の垂仁天皇を配祀しています。
猿投神社 大門 参道 100メートル程あります
樹高33メートルの杉の巨木 参道
猿投神社 本殿 猿投神社 本殿
やぐら太鼓 猿投山から流れてくる清流の滝
猿投神社は左鎌を奉納する 献馬の碑

古くには猿投山全部が御神体で山全体が崇拝対象になっていたようです。麓にある本社、中腹西峰に西宮、頂上付近東峰に東宮が鎮座し三社で一つの神社となっています。
猿投山自体は活火山ではないので、浅間神社のように火山を鎮める為に神社を建立したという訳ではないようです。もともと日本人特有の自然崇拝が原点になっており、神社建立以前からも何らかの形で崇拝の対象になっていたのではないかと考えられます。山道が険しいので東宮、西宮までお参りに行く人はあまりいないようです。ちなみに標高(三角点)は629m 。東京で人気の高尾山より30mほど高いです。

本社、東宮、西宮の三社の神様を一度に拝む事が出来る日が1年に2日だけあります。
それは10月の第2土、日に行われる猿投祭りの日です。猿投祭りではご神体を乗せた3つの御神輿が15人の白装束の担ぎ手により御拝殿に祀られます。飾られた三社の御神輿には御供物が供えられ多くの参拝者がやってきます。

東の宮 鳥居 西の宮 鳥居

猿投祭り自体も色々変遷をとげているようです。
馬に飾りを付けて奉納する馬の塔[オマントウ](現在でも行われている)や
武家の崇拝者が多かった為、侍による流鏑馬が行われたりしていた時期もあり(現在、行われていない)
現在のような棒の手がメインイベントとして定着したのは戦国~江戸初期だと考えられているようです。
棒の手隊が馬の塔を警護する為、神社にやって来て、ついでに棒の手を披露していく
各村々の若い衆が俺も俺もと練習した技を披露するスタイル。
多い時には尾張や西三河、美濃など180ヵ村以上から馬の塔がやってきてそれは賑やかで激しかったようです。

明治になって社会秩序や生活スタイルの変化や度重なる国家間の戦争などにより若者の流出、担い手不足、などにより猿投祭りや棒の手は廃れていく事になります。
戦後、愛知県下各地で棒の手保存会が結成され地域ごとのお祭りで神社などに奉納されるようになりました。

現在の猿投山は深い木々に覆われ豊かな森となっていますが、100年前は全く違った姿であったようです。
名古屋市博物館内の展示資料によれば、尾張方面から東の方に見える猿投山は異様を呈していたようです。「異様な赤茶けた姿」と記録に残っているそうです。おそらく平安~明治初期まではハゲ山であった可能性が高いです。
その理由としては焼き物が盛んであった地域に近く、陶土を採取する為、土を堀り、木々を伐採し燃料として使っていたと考えられます。その産物である「猿投窯」なる焼き物は古美術を扱う人達には現在でも人気があるようです。
復元されたトロミル水車 山の西側中腹ぐらいまでトロミル水車が何箇所かあり水の力で水車を回し鉄のドラム缶を大きくしたような缶を昼夜回転させ、陶土をさらに目の細かい良質の陶土に変えていたようです。
1980年位まで実際に商用に動いていたトロミル水車もあり、戦後から高度経済成長までの間、農業以外に産業の少ないこの地の人々の重要な現金収入であった事は間違いないようです。


私の祖父(故人)の話によれば、戦争から生きて帰って来たが、とにかく仕事がなくて、戦争から帰って来た友人達と協力して、農業とトロミル水車をやって何とか生活していたというような事を言っていました。広沢天神側(西側)から登山をすると、朽ち果てたトロミル水車を何か所か見る事が出来ます。今動いているのは東側にある観光用に復元されている1軒のみです。
朽ちたトロミル水車 朽ちたトロミル水車
私が小学生の頃には動かなくなっていたものも含めで5か所以上は確認できましたが、現在は2か所のみとなっています。人が整備してやらないと、すぐに使えなくなって朽ちてしまうようです。
産業遺産として何らかの形で残してやりたいものです。


その他にも町内には池田古墳群や、縄文遺跡が出土した神郷下遺跡公園などがあり、猿投神社建立以前の太古の昔からも人の営みがあり、のどかな田園風景と雄大な猿投山の風景の中に歴史が所々残る町です。
猿投山全景